今日は、大正デモクラシーについてまとめてみました。
大正デモクラシーとは?
大正デモクラシーとは、1910年代から1920年代にかけて、日本で流行した政治や社会、文化的な風潮を指す言葉です。
期間については諸説あり、明確に定まっていません。
また、何をもって「大正デモクラシー」とするのかなどの定義にも諸説あり、定まっていません。
当時「デモクラシー」という言葉が流行していて、政治学者であり思想家でもあった吉野作蔵が1914年から1916年にかけて雑誌上に発表した論文によって、さまざまな社会運動に影響を及ぼしていくことになりました。
具体的には、普通選挙制度を求める運動や、言論・結社・集会などの自由を求める運動、海外派兵の停止を求める運動、男女平等を求める運動、部落差別解放を求める運動、自由な教育を求める運動などが挙げられます。
「民本主義」とは?
「デモクラシー」の訳として、現代では「民主主義」や「国民主権」という言葉が用いられますが、吉野作造は「主」という言葉を避けて「民本主義」という風に用いました。
その理由として、大日本帝国憲法において日本の主権は天皇にあるとされていたことが挙げられます。
吉野は自身の論文で、主権が天皇にあるのか、それとも人民にあるのかを問うことなく、主権者は一般人民の幸福を目的とするべきだと主張しています。
この考え方であれば、天皇に主権があることと矛盾しません。
同時代に起こった「辛亥革命」や「ロシア革命」「ドイツ革命」のように君主を打倒することなく、人民を中心とする政治を実現することが可能になりました。
そのため民本主義は、大正デモクラシーの思想的支柱となっていったのです。
参考記事
・【大正デモクラシーとは】簡単にわかりやすく解説!!国民主体を主張する運動! | 日本史事典.com