今日は、みんながやりたいことやれる世界を創るために必要な条件の2つ目について書いていく。
1つ目の条件は昨日書いたので、そちらを参照してほしい。↓
ボクが一番やりたいことは、みんながやりたいことやれる世界を創ることだ。
みんながやりたいことやれる世界を創るために必要な条件の2つ目は、あらゆる単純労働の自動化だ。
人間が誕生してからしばらくの間、我々は狩猟・採集をして生活していた。
ほどなくして農耕技術が開発され、農作物を育てて生活していた。
農作物を蓄えられるようになると貧富の差が生まれ、争いが起きた。
争いに勝つために様々な武器を開発し、武装して戦った。
戦いに勝って獲得した広大な土地を安定して統治するために、様々な政治システムを開発した。
人間は独裁制より貴族制を求め、貴族制より民主制を求め、それらを実現してきた。
狩猟・採集の生活より農作物を育てつつ定住して生活することを求め、さらには農作物を育てる仕組みを自動化することを求め、2019年はほとんどそれが実現しつつある。
時代の変化とともに、人間は労働という制約から解放されつつある。
というか、人間はそれを求めている。
人間の代表的な意志としてそれを表明する存在がいないため言語化できていないだけで、それらの人間の欲望が存在しているということは、時代が証明している。
狩猟・採集の生活をしていた当時の我々は、食料を貯蔵することができず、おそらくその日暮らしの生活をしていたと考えられる。
しかし、2019年の我々はちがう。(発展途上国の一部を除いて)
狩猟・採集をする必要もなく、農作物を育てる必要もなく、土地の争いをする必要もない。
その代わり、生活費を稼ぐために労働をしている。
その労働といっても、多くが単純作業だ。(もちろん、専門性が必要な労働、クリエイティブ性が必要な労働もあるが、全世界的にみたらまだまだ一部だと思う。)
何らかの専門性を必要としない日雇い労働やアルバイト・パート、企業の一般職採用・総合職採用の人々が行う労働の多くは単純作業だ。(技術系総合職は除く)
総合職の一部には、営業や企画においてクリエイティブさが求められる労働もあるが、総務、経理、法務の多くは単純作業だ。
人間が労働から解放されたいという欲望を持っているとするならば、それらの労働は機械によって代替えされる。
つまり、機械が代替えしやすい順に、人間は労働から解放されていく。
とするならば、単純作業から機械に代替えされていくと考えるのが自然だ。
実際にそうなってきている。
あらゆる単純作業が機械によって自動化された時、人間は本当の意味で労働から解放される。
逆に、そうならなければみんながやりたいことやれる世界は実現しない。
単純労働がある限り、あらゆる人間が「これをやりたい!」と思ったときにそれがすぐに実現できる世界にはならない。
労働がなくなったらお金を稼ぐ手段がなくなってしまう!と思う人もいるかもしれないが、おそらく労働がなくなることはない。(労働という概念がなくなる可能性はあるが)
なぜなら、人間には欲望があるからだ。
あらゆるものが自動化された世界で人間が望むことは、創造性の追求だろう。
学問や音楽や絵画や身体の鍛錬など、創造性を追求することを望むのだと思う。
それを労働とよぶのかどうかは、その時代になってみないと分からない。(たぶんよんでいないだろうと思う)
それでも尚、お金を稼げないということは生活ができないのだから、そんなことすらできない!と思う人もいるかもしれないが、そもそもお金を稼ぐ必要がない。
あらゆる単純労働が自動化されているということは、食料は自動で作られるし、建物も自動で建てられるし、掃除も自動でしてくれる。
それらをやってくれる機械の製造・修理も自動でしてくれる。
あらゆる単純労働の自動化とは、そういうことを意味している。
忘れてはいけないけど、もちろんベーシックインカムだってある。
ただ、それらの機械を最初に生み出すことは、人間にしかできない。
人間の創造性に頼るしかない。
今回は話の軸から少し脱線した部分もあり、まとまりがなかったと思う。
労働について話すことは難しいと改めて感じる。
そういうわけで、みんながやりたいことやれる世界を創るために必要な条件の2つ目は、あらゆる単純労働の自動化だ。
またまた長くなってしまった。
明日は、残りの1つについて書いていこうと思う。