何事も慣れなのかもしれない。
慣れによって余裕が生まれ、少しずつ成長していくのかもしれない。
そうだな。
慣れだ。
きっと恋愛も慣れだと思う。
色々な挑戦をして、失敗をして、改善して、その繰り返しで段々と慣れていく。
小さいころはもっと恋愛に純情さを求めていて、こんなこと考えもしなかったけれど、今ならそう思える。
ちょっと寂しい気持ちもするけど、こういうものなんだろうと受け入れるしかない。
あまり子供と大人の区別をつけたくはないけど、これが大人になるということなんだろうなと感じる。
好きな人に自分の気持ちを受け入れてもらえないことはつらいことだけど、自分の気持ちを伝えることすらできない状況はもっとつらい。
この世界には、相手に伝えることすらできない空中浮遊状態の気持ちが、どれほどあるのだろうか。
きっと数えきれないだろう。
ボクは恋愛の美しい面を知らない。
タイミングを逃したり、自分に勇気がなかったり、伝えても受け入れてもらえなかったり、恋愛のつらい面しかしらない。
ボクにも美しい面を見れる日が来るのだろうか。
そしたら何かが変わるのだろうか。
少し楽しみでもあり、少し怖い。
でも、きっとまた慣れるのだろうと思う。
そう思うと、やっぱり少し寂しい。
あー、おれは何でこんなことを書いているのだろう。
まあでも、これが今のおれだ。
それもこれも全て受け入れよう。
自分の気持ちを書くのは簡単だ。
誰にでもできる。
科学的根拠に基づいたことや、メディアの正確な情報を元にした誰かにとって有益な何かを書く方がよっぽど手間がかかる。
ボクがこうしてここに、今考えていることを書いたとしても、この文章が直接的に誰かのためになることはないだろう。
だけど、ボクはとても楽しいんだ。
とってもとっても楽しい。
自分が考えていることを言語化することによって、「おれってこんなこと考えてたんだ!」って自分をメタ認知できる。
それによって、ボクは快を得ている。
それによって、ボクの人生は確実に豊かになっている。
いつも怒って過ごしている人といると自分も少し気分が悪くなってしまうように、人生を豊かな気持ちで過ごしている人といると、自分も少し気分が良くなると思う。
世界は1つだから、すべて繋がっている。
だから、一見自己満足に見えるこの「気持ちを書き出す」という行為も、回りまわって他人のため、世界のためになっているのかもしれない。
いや、そうだと信じている。
自分の人生を豊かにすることで、必ず他人も豊かにすることができるようになるし、そうすればいつか世界を豊かにすることができると思う。
そうだと信じている。
世界が豊かになって、その状態に世界が慣れる日がいつか来ることを願いつつ、人生を豊かにしていこう。