そろそろだな~と感じています。
動き出すときが近いです。
あ、これはボクの話です。
何かね、感じるんですよ、最近。
周りの色んな状況もひと段落して、自分の身体的、精神的状態もだいぶ安定してきています。
すると、どうなるのか?
ボクはすぐに飽きます。
変化がないと退屈で、すぐに飽きます。
もちろん、身体的、精神的状態の安定も飽きます。
ボクは今、だいぶ自分に飽きています。
ですので、もっと遠くに行きたいと、そろそろ感じています。
2年前の19歳の時に「やりたいこと」を見つけて以来、ここまでやってきました。
この2年の間に本当に色々なことを経験し、たくさん挫折してきました。
そのため、一度精神が崩壊し、この約1年間はぷら~んとぼんやり過ごしてきました。
これも楽しいっちゃ楽しかったです。
低次の楽しさも、それはそれで必要だと思います。
低次の楽しさを味わえるから、それに飽きて高次の楽しさを求めると思うので。
最近、就活というワードをたくさん耳にします。
ボクも、少し相談されたりします。
そういうときにやはり感じるのが、「何のために就活をするの?」ってとこです。
こう言うと、多くの人は「収入を得るため!」とか「生きていくため!」って言うんですけど、それって超適当な考えだよな~って思います。
だって、収入を得るためなら就職じゃなくても良いじゃないですか。
生きていくためなら、アルバイトでも良いじゃないですか。
なのに、なぜみんなは就職をしようと思うんでしょうか?
完全に、”みんながやっているから”or”そういう社会の空気だから”ですよね。
そんな中途半端なことしか考えていないから、答えのない悩みのループに陥るんだろうな~と思います。
まあ、これはすべて社会システムが悪いっちゃ悪いんですけどね。
でも、ちょっと考えればわかることだとも思うんですけどね~。
ということで、ボクは周囲の人が思考停止して就活している間に、自分の人生戦略を立てて実行していこうと思います。
「大西健太」という個人で仕事を取ることができなければ、これからの時代は一生自由になることはできないと思うんですよね。
なので、「大西健太」であることの価値を見出さなければならないと思っています。
まあ単純に、「大西健太」の価値を高めれば良いということです。
じゃあ、どうやって価値を高めれば良いのか?というとこなんですが、ボクは「大多数が潜在的に求めてることができる人」になれば良いのではないかと考えています。
潜在的にというのがポイントで、すでに誰かが明らかに求めていることをやったとしても、その時点ではすでに遅くて、もう他の誰かがその人たちを満たそうとしている可能性があります。
その場合、競争率は異常に高くなります。
しかし、潜在的な欲求、つまり「まだ誰も求めていないけど、その人たち自身も気づかずに欲していること」を満たしてあげることができる能力の場合は、競争率は著しく低いはずです。
うんうんうん。
そう考えると、やっぱりdappsプログラマーかな~という気がします。
もちろん、ブロガーも良いと思います。
ブログとプログラミングの相性は抜群ですからね。
同じPC上で完結しますしね。
こつこつやっていきます。
では。