常に変わることを受け入れる。
いつもは、起きてルーティンワークをやったらすぐにこのブログを書いていましたが、今日は違いました。
昨日の夜から、最近何か色々飽きてきたな~と思っていたので、何か面白いことを探しました。
朝起きてからふと、自動録画していた映画の中から1つ選んで、見ました。
その映画は「ゲド戦記」です。
以前から、その他のジブリ作品と比べて内容がよくわからないと言われていて、他のジブリ作品と比べると人気がないことも知っていました。
だから、公開されていた当時は特に興味を抱いていませんでした。
しかし、あの偉大なジブリの作品の1つなのにも関わらず人気があまりないということで、逆に自分の頭の中には「ポツン」と他と何かが違うという点で印象に残っていたのかもしれません。
そして、実際に見てみました。
最高でした。
非常に面白かったです。
なぜ人気が出なかったのか不思議でしょうがないですが、たしかにパッと見ただけではわかりずらい部分が多かったのかもしれません。
改めて、常に変化を受け入れようと思いました。
アレンという少年が、物語冒頭で自分の父である国王を刺してしまいます。
アレンは、自分の心の中で光と闇のバランスを保つことができず、常に不安定でした。
ぼーっとしていたかと思えば急に優しくなったり、急に凶暴になったりしてしまいます。
その不安定な自分を受け入れることができず、アレンは自信が無く常に恐怖で怯えていました。
これは、この物語の背景にある世界の均衡のバランスが人間によって崩されているということを、アレンの心の葛藤と照らし合わせているのだなと思いました。
そんなアレンを、世界最高の魔法使いであり、世間から大賢人とよばれているハイタカが助けます。
ハイタカは、この映画の中では非常に紳士で良い面しか見せません。
しかし、実はこのハイタカも若い頃は自分の魔法使いとしての資質に驕ってしまい、大きな過ちを犯してしまっていました。
ハイタカの顔にある大きなアザがその過ちの代償なのですが、それはこの映画の原作の本を読まなければ分かりません。
ハイタカとアレンは、師匠と弟子という関係で描かれています。
映画の要約がしたい訳ではないので、ここら辺で内容についての話はおわりにします。
ボクは、この映画を見て「常に変わるということを受け入れよう」と思いました。
悪役の魔女であるクモが、永遠の命を手に入れようとして色んな手を尽くします。
しかし、上手くいきません。
それもそのはずです。
この世のあらゆるものは常に変わり続けるということが、この世のたった1つの法則だからです。
命も同じです。
生があるということは、死があります。
逆に言えば、死なないということは、それは生きていないのです。
ハイタカは、「人が、自分がいずれ死ぬということを理解できることはありがたいことだ」と言っていました。
死ぬと分かっているから、生きることができる。
矛盾していると思う人もいるかもしれませんが、これがこの世界のたった1つのきまりごとなのです。
あらゆるものは、常に変わり続ける。
変わらないものは何一つありません。
私たちの肉体も、心も、考え方も、世界も、人間関係もすべて変わり続けます。
これは、ありがたいことです。
お母さんも、お父さんも、お兄ちゃんも、友達も、好きな人も、尊敬する人も、愛する人も、好きなことも、好きなものも、国も、システムも、世界も、全部変わります。
この瞬間も変わり続けている。
だから、変わり続けることを受け入れることができないものは、クモの最後のように醜く、哀れな姿になって朽ちてしまいます。
変化を受け入れることができる人になりましょう。
今からです。
自分の興味、関心、仕事、人間関係、好きなこと、好きな人、好きなもの、あらゆることは変わるのです。
しかし、自分や周囲がすでに変わっていることに気づかず、固定観念にしばられて凝り固まった考え方で生きていると、クモのように醜い姿になってしまいます。
ボクも、今はクモかもしれません。
ああ、自分もクモだからもうダメだ。
だから、今凝り固まった考え方の人はみんなダメな人なのだ。
と、ボクはそういうことが言いたいのではありません。
今、凝り固まった考え方の人であっても、変わることはできるのです。
なぜなら、それがこの世界の法則だからです。
1000字を大幅に超えてしまいました。
もうすぐ1800字です。
常に変わることを受け入れよう。
自分の考え方も、環境も、人間関係も、やりたいことも、常に変え続けよう。
そして、ゲド戦記を見よう。
では。