にしログ

大西健太の雑記ブログ。

<雑記>研究の愚痴

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なんだなんだなんだ。

 

なんでこんなに不満なんだ。

 

寝不足だからか。

 

うん、たぶんそれもあるだろう。

 

でも、それだけじゃない。

 

頭がもやもやしている。

 

研究で、もやもやしている。

 

プレ卒論では、間接民主制信頼性が投票行動に何らかの影響を及ぼしているのではないかと考え、大学生85名に質問紙調査を実施し、有効データ75を分析し、結果を出した。

 

その結果、間接民主制信頼性と投票行動の間に何らかの関連を見出すことはできなかった。

 

しかし一方で、内的政治的有効性感覚と投票行動には弱い正の相関が見られた。

 

つまり、内的政治的有効性感覚が強いほど投票をしやすく、弱いほど投票しなくなるということだ。

 

また、その内的政治的有効性感覚の基礎データを見ると、5件法で調査したのだが、3以上のデータは75データ中3データしかなかった。

 

それ以外のデータは、すべて3以下だったのである。

 

これは、今回調査した大学生75名のほとんどが、自分には政治的な知識がないと思っているということだ。

 

質問項目は、たしかに「自分は有権者にふさわしい」とかなので、今の義務教育を経て社会に出ている日本人であれば、内的政治的有効性感覚が低くなるのは仕方ないことかもしれない。

 

そこで、ボクは次の卒論では内的政治的有効性感覚が高い人を調査したいと思い、大学別・偏差値別で調査をしようと考えた。

 

そして、今日ゼミで研究計画を発表した。

 

すると、教授からは大学別・偏差値別調査はタブーだからやめた方がいいと言われた。

 

何らかの軋轢を生んでしまうらしい。

 

まあ、それはわからなくもない。

 

自分にはまだよくわからない暗黙のしきたりとやらがあるのだろう。

 

こういうしきたりとやらはいずれ乗り越えるとは思うが、教授からのアドバイスはおそらく大学院進学を控えているボクへの優しさなのだと思う。

 

だが、そうすると内的政治的有効性感覚が高い人をどうやって探せばよいのだろうか。

 

すると教授は、内的政治的有効性感覚の項目がちょっと厳しすぎるから、低くなっているのだと指摘をされた。

 

たしかに、項目を見ると自分でもこれは全然当てはまらないな~と感じる項目が多かった。

 

だから、もう少し内的政治的有効性感覚の項目をやさしくした方がいいと提案をされた。

 

ボクも、その時はそうかな~と思った。

 

しかし、もやもやしていた。

 

そして、今ももやもやしている、

 

その理由は、この内的政治的有効性感覚をやさしくするという行為に対する違和感だ。

 

項目の例を挙げると、先ほども挙げたが「自分は有権者にふさわしい」とかだ。

 

これをもう少しやさしくするとは、一体どういうことなのだろうか。

 

今の政治制度は民主主義である。

 

国民一人一人が政治に参加して、政治を行っていくことができるはずである。

 

にもかかわらず、自分が有権者にふさわしいと思っている人が圧倒的に少ないのである。

 

ゆえに、もう少し内的政治的有効性感覚の項目を低くするべきではないかという提案を受けているのである。

 

はて?

 

いや、今回は特殊なのはわかっている。

 

ボクの大学院進学に向けた卒論であるため、できるだけ結果を出した方が良いし、面白い結果が出せたらもっと良い。

 

きっと、内的政治的有効性感覚の項目をやさしくすれば、面白い結果がでるのかもしれない。

 

しかし、それは本当に研究とよべるのだろうか?

 

ボクは自信が持てない。

 

教授の優しさなのだということは分かっている。

 

でも、有権者にふさわしいと思っている日本国民が極めて少数であることが仮に事実なのだとしたら、面白い結果を出すとか以前に、その事実を提示し、問題提起をするべきなのではないだろうか。

 

研究者とはそういうものなのではないだろうか。

 

いや、まだボクは学部生の身分であり、全然研究者でもなんでもないのだが。

 

 ふう。

 

でも、書き出したことによってちょっとはスッキリできた気がする。

 

サンキューブログ。