にしログ

大西健太の雑記ブログ。

<テクノロジー>インターネットの歴史をざっくりとまとめてみた!

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VRの作り方についてまとめようと思っていたんですが、色々あってブログに割く時間がなくなってしまったため、また別の機会に書くことにします。

 

今日は、明日のネットワークメディア論の課題をやっていました。

 

インターネットの歴史についての課題です。

 

あ、課題をやるついでに、このブログでインターネットの歴史について書いてみようかなと思います。

 

インターネットが多数の人に利用されるようになった要因

ティム・バーナーズ・リーが、WWWと呼ばれる分散システム上の情報形態の提案を公式に行ったことで、ハイパーテキストのアイデアが実現されることとなり、インターネットの基礎が築かれました。

 

また、そのシステムはNEXTSTEP上で動き始めました。

 

そのNEXTSTEPは、スティーブジョブズによって作られたコンピュータでした。

 

ビルゲイツが創設したマイクロソフト社は、PCを初心者でも動かせるように、70年代中ごろにBASICというコンピュータ言語を開発しました。

 

また、現在のWindowsOSソフトの基本を開発しました。

 

ビルゲイツが創設したマイクロソフト社によって、今のパソコンの隆盛の元が築かれました。

 

村井純は、84年に慶応義塾大学と東京工業大学を接続する日本初のネットワーク間接続「JUNET」を設立しました。

 

88年には、インターネット研究コンソーシアムWIDEプロジェクトを発足させ、インターネット網の整備・普及を進めました。

 

インターネットは、このような様々なイノベーションによって、多数の人に利用されるようになりました。

 

チャールズ・バベッジが「コンピュータの父」と言われる理由

バベッジが作ろうとした階差機関は、数表を計算しながら印刷することを目的としていました。

 

当時イギリスでは海運業が盛んでしたが、船の位置の計算に使う数表に誤りが多く、そのため海難事故に悩まされていました。

 

1833年、バベッジはそのような計算を自動的に行い、計算結果を自動的に印刷する階差機関を作ろうと考えました。

 

また、解析機関は歯車を使った自動計算機でしたが、現在のコンピュータと基本的に同じ概念を持っていました。

 

パンチカードを読み取る入力装置、演算結果を印刷する出力装置、演算装置、記憶装置からなっていました。

 

残念ながら資金や当時の機械加工精度の不足などにより、いずれも完成には至りませんでしたが、バベッジの先駆的な業績は高く評価されています。

 

計算機といえば卓上型の、四則演算の計算機しかなかった時代に、このような桁外れの構想を持っていたバベッジは、やはり「コンピュータの父」の名が相応しいのではないでしょうか。

 

 1990年以降のインターネットの日常生活への浸透が、「意図せざる帰結」であるといえる理由

 インターネットの起源は、1969年に構築されたARPANETにまでさかのぼります。

 

アメリカ国防総省国防高等研究計画局が構築したネットワークなので「ARPANET」と呼ばれています。

 

ARPANETは米国内の大学や研究機関の間を、当時としては高速な回線で接続し、全米をつなぐネットワークとして徐々に成長していきました。

 

また、インターネットはTSSの発展形として構想されました。

 

TSSは「メインフレーム」コンピュータ利用のある問題から出てきました。

 

メインフレームは、高価で大型なので、大学などの研究機関、大企業などしか保有できませんでした。

 

一度に一つのことしかできないので、利用者は順番待ちでした。

 

一台のコンピュータでも、みんなが同時に使えるようにしようという考えによって作り出されたのがTSSです。

 

しかし、遠方の企業や大学のコンピュータは利用できませんでした。

 

遠方の資源も利用したいので、ネットワークを作りました。

 

当初の「意図」はTSSの拡張版でしたが、現実のインターネットはコンピュータを介した通信で人と人のつながりが生まれ、発展していくことが明らかになりました。

 

ゆえに、1990年以降のインターネットの日常生活への浸透は、「意図せざる帰結」であるといえます。

 

第二次世界大戦と情報技術の関係

フォン・ノイマンは、アメリカで原子爆弾のマンハッタン計画に参加していました。

 

ノイマンは、原子爆弾を爆発させるべき高度を導く計算を行っていました。

 

これらを演算によって導き出すには、10カ月に渡る計算を要しました。

 

しかし、この際にノイマンは、高速計算の必要性を痛感して、電子計算機の開発に取り組むようになったと言われています。

 

アラン・チューリングは、英国にてナチスの暗号エニグマを解読するチームの中心的な役割を果たしました。

 

クロード・シャノンも、チューリングと音声通信の暗号化に取り組み、米国における暗号理論と人工知能の研究に先鞭をつけました。

 

ノーバート・ウィーナーは、ノイズが多いレーダーの情報から航空機のデータを抽出し、敵機と砲撃が衝突するいくつかの座標点を、確率論と統計的な手法で絞り込む方法を考案しました。

 

このように、第二次世界大戦と情報技術は密接に関係しています。

 

 

こんな感じですかね。

 

全然明日の課題ができる気がしない、、、

 

まあ、がんばります。笑

 

明日もたぶん時間が無いので、自由に何かを書いていきます。