にしログ

月間1万PV。大西健太の雑記ブログ。最近は情報技術(IT)・心理学・政治が好きです。

<プロフィール>みんながやりたいことやれる世界を創るために必要な3つの条件「その3:一般意志2.0の実現」

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今日は、みんながやりたいことやれる世界を創るために必要な3つの条件のうちの最後の1つを書いていく。

 

他の2つの条件についてはすでに書いた。

 

最後の1つは昨日書こうと思っていたのだが、想像以上に言葉で説明することが難しかったので、もう一度その考えの元になった本を読み返していた。

 

しかし、1日たった今でも、それを上手くまとめられる自信がない。

 

そのため、その考えの元となった本から要点を引用させて頂くことにする。

 

引用させて頂く本は、東浩紀さんの一般意志2.0だ。

 

テーマは政治である。

 

現在、日本の政治制度は議院内閣制だ。

 

国民が議員を投票で選び、その議員が国民の代表として政治を行っている。

 

しかし、議員の資質や政治家と官僚の関係性など、様々な問題が起きている。

 

また、近年の投票率は極めて低く、50%を下回ることもしばしば見受けられる。

 

このような事実は、一体何を意味しているのだろうか?

 

私は、議院内閣制というシステムそのものに対して、国民が信頼していないことの表れではないかと考えている。

 

そのため、みんながやりたいことやれる世界を創るためには、新たな政治制度を構築しなければならないと考えている。

 

東さんが提唱している「一般意志2.0」という政治の在り方は、非常に斬新である。

 

東さんは夢だと言っているが、私はどうしても実現させたいと思った。

 

 そのため、一般意志2.0に関する説明をするために、ジャン=ジャック・ルソー➡一般意志1.0の概要➡一般意志2.0の概要➡一般意志2.0の具体的な制度設計の順で説明していくことにする。

 

 

ジャン=ジャック・ルソー

いまから2世紀半前、フランスにジャン=ジャック・ルソーという思想家がいた。彼は「一般意志」と呼ばれる奇妙な概念を提唱し、その主張は後世に大きな影響を与えた。たとえばフランス革命はその概念の実現だと考えられた。ところがこの「一般意志」という概念はじつに厄介なもので、影響力が大きいにもかかわらず、専門家のあいだでは長いあいだ肯定的には評価されず、そのため民主主義をめぐる議論もまた混乱してきた。しかし、その言葉にルソーが込めた思想は、21世紀のいま、コンピューターとネットワークに覆われた情報社会の視点で読むと、驚くほどすっきりと、シンプルかつクリアに理解できる。

 

一般意志1.0の概要

一般意志は数学的な存在である。それは人間の秩序にではなくモノの秩序に属する。コミュニケーションの秩序にではなく数学の秩序に属する。

したがって、一般意志の生成には、共同体の成員の合意は必ずしも必要がない。一般意志は、成員がたがいになにも話し合わず、たとえ一言も口を利かず、目すら合わなかったとしても、そこに共同体があるかぎり、端的に事物のように「存在」する。統治はその存在に従わねばならない。

ルソーはどうやら「社会契約論」でそのような政治のあり方を模索していたようである。だとすれば、それは直接民主主義とも間接民主主義とも異なる。また個人主義とも全体主義とも異なる。ルソーの要点はただひとつ、一般意志が、人間が作り出す秩序の外部にあるということにある。彼の「社会契約」は、無数の自由な個人が集まって、たがいに監視し暴力をふるいあう不安定なコミュニケーション=自然状態の外側に、「一般意志」という新しい基盤、新しい環境を生み出すための儀式なのだ。

コミュニケーションなき政治。あるいはコミュニケーションの外部にある政治。近代民主主義の出発点には、そのような夢が刻まれていた。

ルソーが提唱した純粋な一般意志のことを、ここでは一般意志1.0とよぶことにする。

 

一般意志2.0の概要

2世紀半前にルソーが夢見た一般意志は、いま「一般意志2.0」としてすがたを現しつつある。

一般意志2.0は、情報環境に刻まれた行為と欲望の履歴を意味する。それは一般意志1.0と異なり、抽象的な理念ではない。あらゆる場所にコンピューターがあり、あらゆる人工物がネットワークに繋がり、あらゆる人々がたえず個人情報をばらまく21世紀においては、それはじつに具体的な存在だ。わたしたちはその萌芽を、グーグルやツイッターといったサービスに見て取ることができる。

ルソーは、政府は一般意志の公僕であるべきだと記した。政府は主権をもたない。民意を代表することもない。主権はあくまでも人民の一般意志に宿るのであり、政府はそのしもべにすぎない。もしこの主張を現代に適用するならば、来るべき政府ーーーこれからそれを「政府2.0」と呼ぶことにしようーーーは、まずは一般意志2.0のしもべとして構想されることになる。

わたしたちはいまだ、政府を、市民が明示的な意志表示に基づき運営するものだと考えることに慣れている。だからこそ、市民間のコミュニケーションが重視される。しかし、もしルソーの言葉を忠実に適用するならば、来るべき政府2.0は、市民の明示的な意志表示(それはルソーの言葉では「全体意志」に相当する)ではなく、それよりもむしろ、情報環境に刻まれた行為と欲望の集積、人々の集合的無意識=一般意志にこそ忠実でなければならないことになるだろう。

無意識に導かれる政治。それこそが、2世紀半前にルソーが幻視し、いまネットワークを基盤として立ち上がりつつある新しい政治のすがたなのだ。

 

一般意志2.0の具体的な制度設計

 わたしたちは一般に、政治的な意志決定に参加するにあたっては、争点をきちんと理解し、資料を読み込み、責任ある言葉を発しなければならないと思い込んでいる。そしてそのような思い込みが、ますます政治参加のハードルを上げている。実際、その前提から出発する限り、ひとりの人間が介入できる政治の領域はおそろしく限定される。というよりも、よほどの専門家や運動家でなければ政治には参加できなくなる。しかし他方で、わたしたちはみな同じ社会のなかで生きており、したがって、その内容を詳しくは理解できないが、自分の生活に確実に影響を与えるような政策は無数にある。そして当然のことながら、わたしたちの多くはそれらの政策にも一定の「感想」を抱いている。

そのような「感想」はいままで、匿名で無責任な、議論にならない感情の発露として公共的な場からは追放されていた。まともな政治家なら、ニートがネットで漏らす政治批判にいちいちまともに耳を傾けはしない。それがいままでの常識だった。しかし、グーグルの出現や集合知の理論は、断片的な呟きや幼稚な感想でも、何万、何十万と集まれば、そこから重要な洞察を引き出すことができることを教えてくれている。だとすれば、わたしたちは、これからのすべての政策審議について、それを密室からネットに開放し、会議そのものはあくまでも専門家と政治家のものであることを前提としながらも、中継映像を見る聴衆たちの感想を大規模に収集し、可視化して議論の制約条件とする、そのような制度の導入を考えてもいいのではないだろうか。それはすでに事業仕分けのネット中継とツイッターの連動によって、かすかに予感されている未来のすがたでもある。

すべての省庁の審議会や委員会を、あるいは法案条文作成の模様を例外なく中継する徹底した可視化国家。政治家と官僚と学者が集う会議室には必ずカメラとスクリーンが用意され、議論はすべてネットで公開され、他方で室内には、数千数万の聴衆の反応を統計的に処理し、タグクラウドやネットワーク図で映像化してダイナミックにフィードバックするモニタが用意されたインタラクティブな政府。とくに気負うことなく、ただだらだらとUstreamやニコニコ動画の画面を立ち上げ、中継画像を見てコメントを打ち込むだけでその呟きが回りまわって政策審議の行方に影響を及ぼす、ひきこもりたちの集合知を生かした新しい公共の場。熟議とデータベース、小さな公共と一般意志が補い合う社会という本書の理想には、ひとつにはそのような制度設計を目指している。

 

いかがだっただろうか。

 

いかがだっただろうかと言っても、コンテクストがバラバラで非常に読みにくい部分もあったかもしれない。

 

そんな方には、ぜひ 一般意志2.0を読んで頂きたいと思う。

 

ボクの力不足で申し訳ないが、きちんと理解して頂きたいと思っている。

 

これで、みんながやりたいことやれる世界を創るために必要な3つの条件は出揃った。

 

ベーシックインカムの実現、あらゆる単純労働の自動化、一般意志2.0の実現だ。

 

明日は、みんながやりたいことやれる世界を創るために、具体的に自分が何をしているのか、何をしていこうとしているのかについて書いていこうと思う。