にしログ

大西健太の雑記ブログ。

<自己理解>とりあえず目の前の作業をこなしていけば、いつか道が拓ける?

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やっぱり、未来のことを考えないとだめだと思う。

 

未来と言っても、数百年後とか、数十年後とかじゃなくても良いと思う。

 

1~3年、もしくは1か月、半年くらい先のことでも良いと思う。

 

よく、とりあえず目の前の作業をこなしていけば、いつか道が拓ける的な言葉を聞くと思う。

 

このような言葉は、人々が未来を考えずに、目の前の作業に集中することを正当化してくれる。

 

でも、本当にそれで良いのだろうか。

 

もちろん、未来について考えた上で、目の前の作業に集中することは重要だ。

 

だが、未来について考えずに目の前の作業に集中した場合、そこに自分の意志は発生しない。

 

すべては自分が置かれた環境任せ、他人任せだ。

 

その結果、置かれた環境に適合した人間になる。

 

仮にそのような人間になり、自分の中で満足できたら良いだろう。

 

しかし、多くの場合は満足できない。

 

なぜなら、人間である以上、パーソナリティ・性格があるからだ。

 

現在の日本社会で、自分にとって最適だと思う環境に能動的に身を移せる人は、極めて限られている。

 

多くの人は、学校か職場を選ぶ際に、環境を選択する機会が与えられる(と、思い込んでいる)。

 

ここでの学校とは、幼稚園or保育園から大学・大学院までのことを指すが、多くの人は、この期間に自ら能動的に環境を選択する権利がほとんどない。

 

幼稚園、小学校を選ぶ権利はないかもしれないが、中学校、高校、大学は選べるじゃないか!と、思う人もいるかもしれない。

 

しかし、考えてみてほしい。

 

環境とは、一体なんだろうか?

 

Wikipediaには、こうある。

 

「人間または生物を取り巻く、まわりの状況。そのものと何らかの関係を持ち、影響を与えるものとして見た外界。」

 

そうだ。

 

本来の環境とは、人間社会が造り出した学校の名称などではなく、リアルな自分の身の回りの状況のことである。

 

自分の周りには誰がいて、彼らは何をしているのか、どんな性格の人がいるのか。

 

これこそが、本来の環境である。

 

では、学校はどうだろうか。

 

大学は多少選べるかもしれないが、幼稚園、小学校、中学校、高校は全く選べない。

 

強制的に各クラスに振り分けられ、集団生活をしなければならない。

 

つまり、幼稚園、小学校、中学校、高校では、環境を能動的に選ぶことができない。

 

もうお分かりいただけたかもしれないが、これは職場の場合でも同じである。

 

現在の日本社会では、会社に就職したとしても、多くの場合は配属先を自分から選ぶことができない。

 

もちろん上司も選べず、誰と働くかも選ぶことができない。

 

学校と同じである。

 

このように、一見すると学校や職場などの環境を能動的に選ぶ権利が皆に平等に与えられていると思いがちだが、本来の「環境」を選ぶ権利は、多くの人には与えられていない。

 

では、このような現在の日本社会において、多くの人が満足しているだろうか。

 

おそらく、YESとは言えないだろう。

 

その理由は様々あると思うが、大体は想像がつくのではないだろうか。

 

人間である以上、パーソナリティ・性格というものがある。

 

それゆえに、合う、合わないは必ずある。

 

学校ならば、生徒or生徒以外、職場ならば、社員or社員以外という多少のフィルターがあるものの、やはり「環境」を選べない以上、その場でどうにかするしかない。

 

一人一人が少しずつ我慢をしながら回っているのが、現在の日本社会の実態だろう。

 

だからこそ、未来について考えることが重要なのだと思う。

 

「未来はこういう自分になっていたい!」「こういう環境に身を置きたい!」と思うからこそ、そこに意志があるからこそ、より良い自分になることができる。

 

目の前の作業に集中するだけでなく、少し先のちょっと良い未来を考えて、それに向けて行動していこう。

 

じゃないと、環境に適合した結果、居酒屋で不満をぴーぴー言ってる大人になるよ。

 

そんなのは嫌でしょう?

 

なら、少し先のちょっと良い未来を考えてみよう!